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保育士試験について

保育士試験に出てくる教育書
デューイ「学校と社会」「経験と教育」について

保育士試験に出てくる教育書 デューイ「学校と社会」「経験と教育」について

今回は保育士試験で頻出のアメリカの哲学者「デューイ」についてご紹介します。 本名は「ジョン・デューイ」といい、20世紀前半に小学校の先生などを経験した後、シカゴ大学やコロンビア大学などで大学教授を務めました。 デューイが活躍した時代は、南北戦争や、第一次世界大戦、世界恐慌などが起り、社会的に激動の時代。アメリカの経済格差の拡大、移民の流入、女性差別、大不況、政治的無関心など、デューイは様々な理論と実践を繰り返しながら、これらの問題にアプローチしました。

プラグマティズムを代表する思想家「ジョン・デューイ」

デューイは1859年アメリカに生まれ、裕福と言える家庭には育ちませんでしたが、15歳のときに名門バーモント大学に入学。大学卒業後は高校、小学校教師を経て大学院に再入学し、30歳で助教授になります。 1894年にシカゴ大学に哲学科主任教授として招かれ、教鞭をとっていた際に「人間の精神の発達について研究する実験室があってもいいはずだ」と提案し独自のカリキュラムと共に実験学校(Laboratory School)を開設しました。 16名の生徒から始まった実験学校は、2年後には83名まで拡大、のちに「デューイスクール」と呼ばれるようになりました。

デューイは晩年までコロンビア大学の教授として教鞭を取りながら、精力的に研究・執筆活動を行い、名実共にアメリカの哲学界・教育界の第一人者となります。1919(大正8)年には来日し、東京帝国大学で8回の講演を行っています。 彼の提唱した教育哲学や教育法は日本はもちろん、世界各国の教育に影響を与え、現在の学習法の一つとして取り入れられている「問題解決学習」の基盤はデューイが提唱した児童中心主義的な学習理論から生まれたとされています。

デューイの思想を表す「プラグマティズム」とは、実用主義、道具主義、実際主義とも訳される考え方で、物事の真理を追求する際に、自分の価値観や既成概念を絶対とはせず、行為やその結果によって柔軟に判断しようとする思想です。
デューイは、このプラグマティズムの考え方を、教育や民主主義社会において実践的な道を開いた人物としても知られています。

「デューイ」の教育理念

デューイの教育理念は、「進歩主義教育」と「なすことによって学ぶ」の2つのキーワードがあげられます。
「進歩主義教育」では、子どもの発達に見合った教育と、子どもの自発性が重んじられ、子どもの興味や関心に従って、教育内容は構成されるべきという教育です。
「なすことによって学ぶ」=Learning by Doing とは、体験してみて、その行為を反省的に思考することがあってはじめて「学んでいる」と言えるとする考え方です。
このような、デューイの経験主義の原理は、「経験の連続性」や「主体と環境の相互作用」と呼ばれています。そしてこの原理は、密接に関係しながら生活と学習が続くかぎり進行するものであるため、教育は未来への準備として行われなければならない、としています。

デューイの「学校と社会」「経験と教育」について

デューイが1899年に発表した「学校と社会」は、児童中心主義についてや、学校とは本来どうあるべきかを述べている本です。

「旧教育は、これを要約すれば、重力の中心が子どもたち以外にあるという一言につきる。重力の中心が、教師・教科書、その他どこであろうとよいが、とにかく子ども自身の直接の本能と活動以外のところにある。(中略)。 いまやわれわれの教育に到来しつつある変革は、重力の中心の移動である。それはコペルニクスによって天体の中心が地球から太陽に移されたときと同様の変革であり革命である。このたびは子どもが太陽となり、その周囲を教育の諸々のいとなみが回転する。子どもが中心であり、この中心のまわりに諸々のいとなみが組織される。」 デューイ著『学校と社会』(岩波文庫)P49-P50より

当時、学校教育の中心は子どもであるという考え方はなく、教師が子どもに一方的に教科書の内容を教えるというものでした。 「子どもが太陽」になる新しい教育において、実社会や実生活と切り離された知識ではなく、先の経済を見据えた教育を学校で受けさせるべきだと述べています。

学校はいまや、たんに将来いとなまれるべき或る種の生活にたいして抽象的な、迂遠な関係をもつ学科を学ぶ場所であるのではなしに、生活と結びつき、そこで子どもが生活を指導されることによって学ぶところの子どもの住みかとなる機会を持つ。学校は小型の社会、胎芽的な社会となることになる。 デューイ著『学校と社会』(岩波文庫)P31より

また、同著の中で「学校」は「小規模な社会」であると述べています。学校は、同じ目標に向かって友人同士が協力して活動する共同体であるべきだと主張し、「学校を社会のような共同体にしなければならない」としています。

「経験と教育」は1928年に発表され、デューイの教育論をコンパクトに伝える教育書として知られています。
「学校と社会」が児童中心主義について述べられているため、子どもの自発性を重んじる代表者としてデューイの名があげられることが多くなっていますが、児童中心主義とは、何も子どもの好きにさせることではないとしています。

制限から解放される自由は、つまり自由の消極的な側面は、力である自由への手段としてのみ称賛されるべきものであるからである。その力は、目的を形成する力であり、賢明に判断する力であり、願望を実践したことからの結果によって願望を評価する力であり、選定された目的を実施する手段を選択し、秩序あるものにする力である。 デューイ著『経験と教育』より

つまり、社会がルールの上に成り立っている以上、子どもをルールから解放していいわけではない。子どもたちが本当の意味で自由になるために必要なものは、知性の自由であり、身体的な自由は、知性の自由を達成する手段にすぎないことを認識することである。 そして知性の自由を得ることによって、正しく物事を判断する力や、目的を達成することができるようになる、としています。

1952(昭和27)年にお亡くなりになるまで、上記以外にも多数の著書が残されていますので、この機会に手に取って読んでみてはいかがでしょうか。 1世紀以上も前に投げかけられた様々な問題や教育論は、現代にも通じる問題の解決の手立てとして、教育の現場で今もなお生かされています。

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