今日はお盆。1945.8.15は、終戦の日。
多くの命が失われて、戰の過程、嘘、迎合の危うさが幾つも白日のものとなり、生死の境で上官達の保身や無責任な命令など、悍ましいものが羅列されている。
自分の父は、戦争の事はほとんど語らなかった。
満州へ派兵され、終戦間際に沖縄に行くことになったと聞いたのは母からであった。高熱が続く病から帰国することになったというが、でなければ、生き残る事は難しかったかもしれないし、私もこの世には無い。
阪神大震災で自宅が倒壊して、嘆き叫びたいその日。「戦争よりマシやな」とだけ呟いた父の目には、遠い昔の惨状がどのように映っていたのか。ついに聞くことはなかった。
毎日、仏壇に手を合わせていたのは先祖への感謝だけだったろうか。
子ども達にはウクライナや世界のあらゆる国で続く争い事が、襲いかかる事がないことを切に願います。日本でも戦後、親を亡くした子どもを浮浪児などといい賤別した時代があるという。
何か守る手立ては無いものか。ただただ、早く賢明な判断が成されることを祈るばかりです。