実業家である堀江貴文さんが昨年に発言したこの内容。「保育や保育士を馬鹿にしている」という意見がほとんどですが、中には「言っていることは正しい」という意見もあり、かなり物議を醸しだしました。
意見に対しては賛否両論
実際に堀江さんは実業家として多大な実績を上げているいわばビジネスマン。
ですが、結婚もしていないし、子育ても経験していない。いわば自分の畑の外の世界。
それについて、あたかも知っているかのような意見を言ったことが問題に思われたのかもしれません。
確かに普通の母親は保育士の資格もなく給与も休みもなく、子育てをしています。
誰でもやろうと思えばできる仕事なのかもしれません。
しかしながら、国家資格があり、専門性が必要な仕事。
他人のお子さんを責任を持って預かることは知識も必要だしかなり労力のいる仕事なのです。
世間のほとんどの意見は否定的ですが、
中には現場の保育士からもうなずける部分はあるという意見もあります。
たとえば、「保育士の仕事は誰でもできる」と言われてしまうくらい、
保育士の専門性は可視化できていない、認知されていないということ。
「単に苦労が多い=賃金が高い」ということではないこと、
そしてそのような現状を問題視されながらも、保育士の業務効率化が進んでいないという点です。
保育所におけるビジネスの現状
保育所は福祉施設のため、定員に対する収入が決まっており、
それ以上の収入を得る手段がありません。
売上を上げられないなら、コストを削減という話になりますが、
保育所には、法的に「最低人員配置基準」が設けられており、
人員削減によるコスト削減は不可能かつ違法であり、
保育の質の低下や事故を招くことにもなります。
そのため、保育士の給与を改善するには以下3つの方法が上げられています。
①保育士の業務のIT化を進め、業務効率を改善する
②装飾などの手作業の作業の必要性を考える
③保育士の処遇改善金が保育士にいきわたるようにする
誰でも(やろうとしたら大抵の人は)出来る(大変かもしれない)仕事
堀江さんは「介護士」や「レジ」も同じく、誰でもできるから給与が上がらないと言っています。
しかしながら、今回の発言含めて、真意を補完すると、
「誰でも(やろうとしたら大抵の人は)出来る(大変かもしれない)仕事」
という意味です。
そして誰でも(やろうと思えば)出来るからこそ、
仕事としての希少性は低く、給料も上がりにくい構造になってしまっているのです。
「誰にでもできる仕事」と言ってその仕事を誰もやらなくなったらどうなるでしょうか。
世の中は、そういった目にも止まらない小さな仕事をやってくださる人たち沢山がいて、
その上に社会が上手く循環しているのです。
今回のことを機に、懸命に働く保育士さんの背景にある事実に目を向け、
お互いの立場を尊重し、あたたかい思いやりができる社会であるようにしたいものですね。